女子高校野球の歴史
20年前の1998(平成10)年に本連盟が発足しました。
初代事務局長の四津浩平氏が「女子に硬式野球をやらせてあげたい」と
私財を投じてたった一人で創設の挑戦をされました。
そして04年(平成16)年10月に静かに息を引き取られました。
享年63歳。
まさに身を削り命を削り、女子硬式野球の発展を祈り続けた10年であったのです。
95年に日本で最初の女子硬式野球大会
「日中対抗女子中学高校親善野球大会」を皮切りに、
10年が経過した際、四津氏は亡くなる直前「苦節十年」と題した文章を残されていました。
苦節十年
〜女子硬式野球選手の笑顔のために〜
思えば10年前、北京市中学校(中高生)のソフトボールチームを招いて「日中対抗女子中学高校親善大会」を開催したのが元で、当初3校の参加に始まり翌年ソウルの女子高校ソフトボールチームを招いて「日韓親善女子高校硬式野球優勝大会」を開き、3年目から第1回大会の現体制が整いました。なお、正式なクラブ活動になる女子硬式野球部創設校の参加も認められるようになりました。
男子生徒と同じスポーツを共有する目的が共感を呼び、毎年僅かながら参加校が増え、いよいよ春夏両大会とも舞台を関西に移す事になりました。女子硬式野球は、他にワールドカップなどがありますが、確たる地盤を築いた本大会が核となっていくことは間違いないでありましょう。
しかしながらまだまだ参加校が少なく、せめて四国・中国の各地区から代表校が選ばれて、さらに公立高校の硬式野球部創設も望まれるところであります。以後なお皆様の深いご理解とご支援を賜り、高校女子硬式野球部の発展を願うものであります。
全国高等学校女子硬式野球連盟
事務局長 四津浩平
日本で初めての女子硬式野球黎明期の歴史を知っていただき、男子とは違った女子独自の世界である明るく伸びやかな「ベースボール」の世界を今後も構築できるよう皆様方のご協力ご支援を賜れば幸いです。
沿革
1995(平成7)年8月
日本初の硬式野球大会「日中対抗女子中学高校親善野球大会」開催(東京都福生市)
1996(平成8)年8月
「日韓親善女子高校硬式野球優勝大会」開催(東京都福生市)
1997(平成9)年8月
「第1回全国高校(現高等学校)女子硬式野球大会」開催(東京都福生市)
1998(平成10)年
「全国高等学校女子硬式野球連盟」発足 初代会長 東隆眞
副会長 佐藤栄太郎 神村 勲 事務局長 四津浩平
日本初の女子硬式野球連盟
2000(平成12)年4月
「第1回全国高等学校女子硬式野球選抜大会」開催(兵庫県市島町)
これに伴い夏の全国大会は「全国高等学校女子硬式野球選手権大会」と名称変更
2000(平成12)年9月
佐藤栄太郎が全国高等学校女子硬式野球連盟会長に就任
2004(平成16)年8月
「第8回全国高等学校女子硬式野球選手権大会」関東から兵庫県市島町に移管
2004(平成16)年10月
畑 茂が全国高等学校女子硬式野球連盟会長に就任
堀秀政が事務局長に就任
2010(平成22)年8月
「第1回全国女子硬式野球ユース選手権大会」開催(埼玉県加須市・栃木県佐野市)
2013(平成25)年7月
小林清木が全国高等学校女子硬式野球連盟副会長に就任
2014(平成26)年3月
「第15回全国高等学校女子硬式野球選抜大会」兵庫県市島町から埼玉県行田市に移管
2015(平成27)年3月
「第16回全国高等学校女子硬式野球選抜大会」埼玉県行田市から埼玉県加須市に移管
2017(平成29)年9月
坂谷高義が全国高等学校女子硬式野球連盟会長に就任
2018(平成30)年3月
「加須きずなスタジアム」完成
「女子硬式野球ミュージアム」開設(埼玉県加須市)
2019(平成31)年1月
兵庫県丹波市の「スポーツピアいちじま球場」が新愛称
「つかさグループいちじま球場」に決定
2019(平成31)年3月
女子硬式野球応援ソング完成
「女子硬式野球ミュージアム」常設(埼玉県加須市)